ハナガラのブログ

甲状腺がんの体験記 と その他

わたしのリアル

甲状腺がんがみつかったのは、20代前半です。
初めて手術をしてからは、10年近く経ちます。
かれこれ2回手術しています。
必要最低限の関係者にしか、病気したことは伝えてないです。

その時も今も、普通の会社員です。営業職です。

もとからお酒は強くないですが、職業上もあり、ほどほどにお酒も飲みます。
海外旅行、運動もします。

薬を飲むこと以外には、生活する上での制限されていません。

悩みは、付き合いたいと思っている人に、いつ病気のことを打ち明けるか です。
なかなか切り出すタイミングがない。というか、どのタイミングでいうべきかわからない。ずるいですが、結婚してから病気発覚したかった(^^)

こんなところにも影響が。と思ったのは、永久脱毛をエステサロンにお断りされたことです。
Webの申し込みフォームの「服用している薬」欄に、素直に ”チラージン” と書いて提出しまして、ホルモン系の薬を飲んでいる人は効果がないかもしれないから施術できない。とお断りされました。
結局ほかの所をあたったら施術してくれましたが。脱毛への情熱がすごい。

健康診断の時の問診票に、これまでは何も考えずに”問題なし”のチェックだけつけていればよかったのに、「病歴」欄に、どの病気をいつ患ったか記入しないといけなくなったことは、少し面倒です。

「20代でがんとか最悪...」とか、大おばさんを見て「その歳まで健康でいいなぁ」と思ったことは何っ度もありますが、まだ甲状腺がんでよかった。これで済んでよかった。と思うようになりました。なんの心境の変化かは知りません。
将来、別の病気になる可能性はありますが、それは気をつけるしかないし、今まで考えもしなかった健康の大切さを身に染みて感じています。いささか代償が重いですが。

これが、甲状腺がん経験者であるわたしのリアルです。

 

母の乱

わたしは甲状腺を全摘出することを受け入れていましたが、母は違ったようです。

全摘はやめよう、セカンドオピニオンだ。と言い出します。
セカンドオピニオンはまだしも、わたしはその頃には全摘派になっていたので、再発の不安が残るから全摘がしたいと伝えました。しかし、「あなただけの体じゃない」「お腹を痛めて生んだんだからーーー」と、ドラマばりのセリフを繰り出してきます。母は以前別の病気で臓器を半分摘出したことがあり、一部でも残っていることがいかに助かるかを経験上知っている”らしい”です。

ひとまず、セカンドオピニオンへ。
セカンドオピニオンでは、亜全摘でよいという話でした。8割摘出。残り2割の甲状腺でホルモンを補うことは難しいので、結局、薬を飲み続けることには変わりなし。
この結果をその時の主治医に(セカンドオピニオンの先生が書いた手紙で)報告すると「いっていることはわかるけど、残しておく意味はないと思うよ」とのこと。

最終的に転院をしたのですが、決め手は ”手術までの待ち時間” でした。前の病院は、手術まで半年、転院した病院は1か月。

全摘か否かのことについて、再発の危険を残すのは嫌だと全摘を希望していましたが、亜全摘を勧める先生にも理由があり、どっちもどっちという気分になりました。
(「予後が良いから、手術後の生活のし易さを重視する」か「再発を防ぐことを重視する」か、どちらも手術後の生活を重視していることには変わりないですね。)

正直、転院をしたのが正解なのかどうか、今でもわかりません。

いざ、病院へ

病院行くのは何年振りだろう。と思うくらい、病院とは無縁でした。

初診なので、問診票を書き、診察、超音波、また診察 という流れだったと思います。
確か。

超音波で、例のしこりを念入りに調べられました。されるがままのわたしは、「ですよねー」と考えていたことを覚えています。「そこ、気になりますよねー」と。
よくぞ見つけてくれました。という気分でした。

お医者さんて、超音波で見ただけで何となくわかってるみたいですね。
わたしも横目でモニター見てましたが、映っているのが血管なのか筋肉なのかなにがなにやら。お医者さんはさすがですね。超音波中に、お医者さんが手をとめて、ピッピッってなにかを記録してるときってこわいですよね。「え、そこにも何かあります?」って不安になる。

その後の診察でも、よくないものな気がする…といわれ、細胞診になりました。
(診察から細胞診までの流れはよく覚えていないです。おそらく別日で細胞診をしたと思います。)

この時点ではまだ、半分がんだと覚悟しつつ、「細胞診 陰性」というキーワードでネットを検索し、細胞診までいって陰性だった人はいないのかと探していました。

後日、細胞診の結果がでて、診察室のパソコンの画面に、「悪性」とばっちり書いてありました。なぜか母が隣にいました。(どういう流れで母がついてきていたのか覚えていません。)

わたしは半分覚悟ができていたし、予後もいいと知っていたので冷静に受け取れたと思います。は動揺してましたが。母が、「い、命に別状は...?」と先生に聞いていたことを覚えています。先生は「そんなに深刻にならなくていいですよ」的なことを言っていました。

治療方法は、甲状腺全摘出ですが。そっちのほうがおそろしい。
正直、全摘の覚悟はできてなかった。
わたしにとっては、一生薬を飲まないといけなくなることが気が重い。面倒くさがりで、サプリとかも続いたことないのに。

ただ、中途半端に残して再発するよりも、いっそすべて取ってしまったほうがいいだろうと考えるようになりました。 

甲状腺がはれていると言われたことはないですか

と、健康診断で質問されました。

「こうじょうせん」とは何かすら知りませんでした。
それまで、腫れているといわれたこともなかったので、「ないです」を伝え、経過観察になりました。
体調も特に変わったところはなし。もとから風邪もあまりひきません。

数日後、なにがきかっけか、いきなり喉の辺りが痛くなりました。
飲み込むのが痛い。
下を向いて飲み込むと痛くないことを発見して、しばらく飲み込むたびに下を向くという何とも面倒な食事の仕方をしていました。
健康診断で甲状腺がはれているようだといわれていたこともあり、心配で甲状腺の病気について調べ漁りました。一番心配だったのががん。いきなりがんの心配をするなんて心配性と思われそうですが、わたしはネガティブな性格です。

ネットで調べていると、甲状腺がんの症状に「痛み」はないようでした。
病院に行こうとは思っていましたが、数日間で喉の痛みは治まり、がんなら痛みが治まるなんてことないだろう。と少し安心していました。
ですが、がんを確信した症状を見つけました。
のどぼとけ?、あの飲み込むときに上下に動くものに、固いしこりがあるのをみつけました。これは... とさすがにぞっとしました。

がんと診断されることを覚悟するのに、しばらくかかったと思いますが、予後が良いことが何よりの救いでした。

 

次回、病院に行く。

はじめに

甲状腺がんになりました。

自分が甲状腺がんなのではと心配している人、すでに診断されて不安な人に、経験者がいかに普通に過ごしているかを伝えてみようとブログをはじめてみました。

そのうち、ほぼ日記になります。